両親が生きていたら、孫の誕生をとても喜んだだろう。
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両親が生きていたら、(両親は) 孫の誕生をとても喜んだだろう。
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両親が生きていたら、(両親は)孫の誕生をとても喜んだと私は思う。
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私は「両親が生きていたら彼らが孫の誕生をとても喜んだ」と思う。
もとの文の基本は次のように簡単な文章になります。
彼らが/は孫の誕生を喜ぶ
「喜ぶ」は他動詞(transitive verb)であり、「孫の誕生」が目的語(object)です。
とても簡単な構文です。
Please think in Japanese, not in other languages.
回答の追加(1)「喜ぶ」の品詞
質問者の例文が、「~を喜ぶ」でしたので、当然「喜ぶ」を他動詞だとして回答しました。
その後、narutoさんの回答やChocolateさんのコメントで紹介する説明を見て、そういう用法もあるのだと、改めて知りました。
しかし、narutoさんの説明にあった「彼は孫の誕生に喜んだ。」と「彼は孫の誕生を喜んだ。」がどちらも同じ意味(たぶん日本語として大丈夫と言う意味)であるとの説明を見て、少し疑問を感じました。「彼は孫の誕生に喜んだ。」は、意味は分かるがどうも変な日本語だなあとの印象が拭えません。
更に疑問を持ったものは、narutoさんが BCCWJ で見つけてきた「~に喜ぶ」の用例です。
「に」と「を」を置き換えて何度も読んでみました。
日本語としてどれも意味は分かりますが、何だか日本語としてみたとき違和感があります。
以下の文に付けた〇、△、×の印はいずれも私の直観です。〇は違和感なし。×は違和感大です。普通の人が感じる以上に1ランクずつ厳しめに見ているとご理解ください。
× 実験の成功に喜ぶ圭介の腕に思いがけず抱きしめられ...
△ 実験の成功を喜ぶ圭介の腕に思いがけず抱きしめられ...
× 水の出た井戸に喜ぶ、アフガンの子どもたち
× 水の出た井戸を喜ぶ、アフガンの子どもたち
× 新米のプレゼントに喜ぶ姿が見られました。
△ 新米のプレゼントを喜ぶ姿が見られました。
× スケートに誘われ、久しぶりのデートに喜ぶ…のも束の間、...
△ スケートに誘われ、久しぶりのデートを喜ぶ…のも束の間、...
× 写真は開催地決定の報に喜ぶ北京の学生たち。
× 写真は開催地決定の報を喜ぶ北京の学生たち。
「~に喜ぶ」と「~を喜ぶ」の使い分け以上に、「~を喜ぶ」という文でも不自然な日本語だと感じるものがあるのには正直に驚きました。
そこで、「彼は孫の誕生に喜んだ。」と「彼は孫の誕生を喜んだ。」とで実験してみました。
- × 彼は孫の誕生に喜んだ。
- △ 彼は孫の誕生を喜んだ。
- × 彼は誕生した孫に喜んだ。
- △~× 彼は誕生した孫を喜んだ。
改めて居心地の良いと感じる日本語に対する私の許容度は低いとは思いますが、上記の実験から判断すると、どうも「~に喜ぶ/~を喜ぶ」の前の 名詞の種類(性質) によって居心地の良さが変わることが何となく分かってきました。この件に関しましては、narutoさんが引用した5つの例文と合わせて、どうすれば居心地の良い日本語に変身できるかも現在見つけつつあります。まとまったら、また、紹介したいと思います。
さて、「喜ぶ」が自動詞か他動詞かの本題に戻ります。
何気なく調べておりましたところ、日本語の他動詞、自動詞の判定が相当にいい加減であるという情報を見つけました。
日本語教師と名乗る方の文で、自動詞・他動詞、 自動詞・他動詞(2)、 自動詞・他動詞(3)にあります。
かいつまんで言いますと、「~を喜ぶ」「~に喜ぶ」の他動詞/自動詞の判断も辞書(辞書編集者?)によって違うようです。「~を喜ぶ」自体を自動詞にしている辞書もあります。これには私も初耳で、奥が深いというか何なのでしょうかと言う感想です。ぜひご覧ください。
今後日本語の拠り所をどこに置くのかなと思うと、偉そうに日本人面して回答しておれないところです。